マネジメントは時代とともに変化してきており、ピラミッド型のマネジメントの時代は終焉を迎えようとしているように感じる。そのマネジメントは行なうことが定まっていて、量を生み出していく活動に対して機能する。しかし、アート的な唯一を生み出していく活動に対しては、少数が多数のマネジメントを行なうことができない。なぜならば、構造が単純ではないからだ。単純ではない活動の多くを、単体が管理することはできない。できるとすれば、それは単純なことのみである。
また、未完全なモノコトにはマネジメントが必要だ。それに対して自立した主体性にマネジメントは不要である。先に述べたように、マネジメントが機能しない。未熟であるがゆえにマネジメントは必要となり、未熟であるがゆえにマネジメントを欲する。
現状、多くの組織が従来型のピラミッド型のマネジメントを採用しているが、アート的な営みが必要となってきている活動に対しては実は機能していない。その活動に対して、マネジメントは機能しておらず、組織図としての形を敷くことで、マネジメントされているという錯覚に陥っている。
マネジメントは複雑で唯一の営みに対して機能しない、逆に量を生み出す単純な活動に対しては機能する。そのようなマネジメントは将来的にAI化するだろう。では逆に、アート的な唯一を生み出していくための活動のマネジメントはどうなるのか。それは主体同士が、対話により繋がり、主体者自身が判断し、行動していく。主体者の行動をマネジメントというフォーマットにはめることはできない。少数で大勢を見れるほどマーケットは単純ではないということであり、先で述べたようにそれはAI化されるだろう。一対一、それが複雑なマーケットでのあるべき姿であるように思う。