かつては、完成されたものが賞賛されてきましたが、今は不完全なものが多く受けられているように思います。それは、デザインであるならば、長さがずれていたり、絵の位置がずれていたりする、手抜きという不完全ではありません。

不完全を言葉にするとすれば、秩序というよりは意外性、作り込みというよりはありのまま、足し算というよりは巧みな引き算、見た目というよりは中身のうま味、クオリティというよりはソリューション、熟考というよりも素直さ、という感じです。


ユーチューバーの生活感漂う部屋は不完全

様々なシーンで言える事ですが、例えば多くのユーチューバーが部屋で動画撮影しています。従来なら、立派なスタジオとセットがあってというのがやり方でしたが、むしろ今はぬいぐるみが置いていたり、ポスターが張っていたりと生活感が漂う部屋の中で動画撮影をして、それを隠そうともせずに、そのままを良しとしてアップしています。

そして、そのような個人発信の動画が、何万、何十万回と再生され、その再生回数は企業、ブランド発信の動画以上のものが多く存在しているのが今です。それは、生活感漂う部屋の中で撮影する動画の内容にうま味があり、立派なスタジオで撮影するかどうかは本質ではなく、コンテンツがおもしろいので受け入れられているということです。

そのような生活感漂う部屋で撮影された動画は、従来の全てが整ったクリエイティブからすると不完全と捉える事が出来ます。しかし、大事なことを押さえている不完全な状態は、むしろ現在においては完全な状態を凌駕するということです。


完璧は見飽きて退屈に

また、例えば、整った美しいデザイン。一見、隙の無い完璧なクリエイティブのようですが、むしろ従来からデザインは完璧が普通であったので、完璧を見飽きた今は、隙がある方が魅力的に感じることが多いのではないでしょうか。それは、まるで高級腕時計をし、高級車に乗ることはステータスと感じていた均一の価値観の時代から、自分らしい服装で、ランニングや自転車に乗り、それぞれの楽しみがある不均一な時代への変化に似ています。

従来は完全なものとして、大きなピラミッドの頂点を作れば、皆そこを目指しましたが、今は、小さなピラミッドがいくつもあって、大きなピラミッドより不完全なのだけれど、なんか自分に合っていて心地よいという、そんな感じ。


おわりに

完全と不完全の事例は他にもたくさんあります。例えばリーダー論とは?とか、スキルアップ系のビジネス書って、もうお腹いっぱいだと思いませんか?それは、おそらく完全なリーダー論や、絶対通用するスキルなんてものが無くなってきている時代だからなのだと思います。

理想のリーダー像なんてもの自体が疑わしいからです。また、スキルで筋肉がムキムキだからといってソリューションを生む事ができるようなマーケットではないからです。

不完全であるということが受け入れられているということは、多様性の時代において知っておくと、遊びにも、仕事にも役立つように思います。