ツイッターやフェイスブック、大きくはインターネットの存在が実現したことは、情報やノウハウの共有。それは、全ての知に関して。それは、人類が知を共有したいという欲求が働いた所以であるように思います。
さらに、その欲求が働いた所以は、時間を短縮したかったということ。すなわち、 知識を得るためにかかったコストが限りなく小さくなったということです。かつては、インターネットの情報を元に大学の論文を書くことが禁じられていた時代もありましたが、今はその時とは違い、上質な一次情報をインターネットで知ることができます。
そのように、限りなく小さなコストで、どのようなことでも知ることができるようになったことで、 かつて時間がかかっていたことに時間をかけずに済むようになりました。さらに、その知識は、行動にまで繋がっているので、情報を得るということに加えて、行動においても時間が短縮されたことになります。
また、同じ情報を皆で共有することができるということは、同じ情報は一つで良いということの裏返しです。例えば、かつては、各地に存在していたチェーン店も、ECであるならば一つの店舗で皆が価値を享受することができるようになりました。残りの99店舗の人手は他のことへ注ぐことができるということです。
このように、情報や価値の共有の意味を考えると、まだ重なっている部分や、共有の力を借りれる部分において、無駄が生じていることが多くあるように思います。そして、その無駄が不要であるならば、見直すことが賢明であるように感じます。
なぜならば、無駄を除き本当に価値あるところに時間を使えるようになるからです。例えば、高齢化社会における介護や、豊かなコミュニケーションのための家族との時間、また、インターネットの技術に恩恵を受けたようにさらなる技術の進歩へ使う時間。その他にも、趣味や友人との時間。
そのように、より豊かなライフスタイルと、さらなる技術の恩恵を受けるために、本当に有意義なところに時間を使うということが賢明であるとともに、まだ、インターネットで解消されるべき無駄が見過ごされているように感じます。例えば、極端にいうと辞書も地図もソフトも検索エンジンも、同じ洋服も、同じようなウェブサービスも、無料でかつ一つのサービスで事足りるように思います。競争性においては、ユーザーが改善していけるようにオープンソース的にすれば良いように思うからです。
例えば、このような 重なる所を一つにして、その他の人手は全て介護に掛けたとすれば、ものすごい人手になると思いませんか。極論かもしれませんが、インターネットの恩恵はそのような所にあるように感じます。また、世の中の必要と欲求が、その方向を欲したならば、自然に無駄の精査はさらに練磨されていくのではないでしょうか。



