目的とか、目標という言葉を話題にするのは、思考のトレンドに対して逆をいっているようで少しばかり、恥ずかしい気がします。思考のトレンドとは、「成長とか夢を語り、力むのはやめよう、むしろ肩の力を抜いてナチュラルにやろうじゃないか」という風潮。
しかし、活動において、短期中期という長さは違えど、成長ということではなく、深みを出すということにしても、目標というような存在はおのずと姿を現します。かちっとでもふわっとでも、その目指す目標が正しいのかということをジャッジする必要があります。なぜならば、目標が誤っていれば、歩む方向も誤るからです。
そして、目標の成否をジャッジするためには、目標に対して徹底的に行動する必要があります。なぜならば、徹底的に行動して、目標に辿り着かないならば、目標が誤っていたということになるからです。すなわち、徹底的に行動した場合には、目標をジャッジすることができるということです。
もし、目標に辿り着かないのならば、目標が悪いと言い放てば良い、と思われます。徹底的に行動したならば、その資格を得ることができると同時に、目標が正しかったならば、目標に辿りついているということです。ゆえに、どちらにしても、徹底的に行動するという営みが不可欠です。